中之島線は、都心の南北軸に比較して、脆弱な東西軸強化の一翼を担います。
中之島西部地区の再開発に伴い増加する輸送需要に対応するとともに、都心部の効率的な都市活動を支えます。
京阪本線からの乗り入れや多くの鉄道との連絡により、大阪の一大都市拠点である中之島と観光・文化都市である京都を結ぶなど、広域交通ネットワークが充実されます。
堂島川と土佐堀川に囲まれた、東西3kmほどの島が中之島です。江戸時代初期、後に日本一の豪商となる岡本常安が最初に中之島の整備を図ったとされています。
その後、諸藩の蔵屋敷が集中し、天下の台所の基盤として、その繁栄は幕末まで及びました。明治、大正、昭和にかけて、大阪市役所、府立中之島図書館、中央公会堂、中之島公園、また日本銀行や企業の社屋が建てられ、大阪の行政、経済、文化の一大中心地として現在に至っています。